飼い猫もいつかは死んでしまうという事
猫に限らず動物、すなわち『命』を預かるというのはある意味自分の人生、更には家族の人生をも変えて行く。
・・・と僕は思う。
世の中には動物嫌いな人ももちろんいる。
きっと生まれてからの人生の中で何か動物に対しての嫌な思い出が会ったのかも知れない。もしくは動物は大好きなのだが、例えばアレルギーのようなものがあったりして飼えないような事情があるのかも知れない。
幸いにして僕を含めて家族の中に猫に対してのアレルギーを持っているのはいない。
正確には妻と小学生の娘には過去に猫アレルギーがあって、ほたてたちを我が家で飼うかどうかのときにアレルギーの問題もあってためらっていたのもあったが、いざ家に猫たちを入れて触れ合ってみるとアレルギー症状は出なかった。
医学的なことは全くわからないが、きっと神様が『飼え』と言ってアレルギーを消してくれたのかも知れない。
恐らく子供たちのアレルギーが酷ければほたてたちは保護出来なかっただろう。
もしそうなっていたら猫たちに対してどんな行動をしたであろう。
仏像のように眠るほたてさん
死ぬのが可哀想だからペットは飼わない
僕の周りでもこう言う人がたくさんいた。確かにわかる。
僕も子供の時から犬や猫、うさぎやモルモットなどいろいろな動物飼ってきた。
かわいがっていた動物が死ぬたびに悲しみに打ちひしがれて来た。
小学生の時に飼っていたモルモットが死んでしまった時には泣きながら庭に穴を掘り、木の板に名前を書いてお墓を作ったりした。
じゃあ同じ悲しみを自分の子供には絶対にさせたくないかと言われたら答えは『No』だ。
むしろ経験してほしいと思う。
飼っている動物はよほどの事がない限り人間より先に死ぬ。
自分の子供たちには自らお世話したり遊んだり一緒に寝たりしてかわいがっていた動物が死んでしまった時にその悲しみと向き合える子供になってほしいと思うし、いつか子供たちが独立し結婚して家庭を持つようになった時には是非動物を飼ってほしいと思う。
余談になるが、小学生の子供たちは現在『死』という事に対しては漠然とはわかっていてもきっとよくわからない部分はあるかも知れない。
自分も同じ年頃の時は『死』に対してはよく分からなかったと思う。
死にたくなかったし、いつか自分も歳を取って死ぬのが物凄く怖かった気がするが
僕ももう40代も後半に差し掛かり恐らく人生の折り返しは過ぎていると思う。
自分の中では『死』に対して気持ちの準備に取り掛かっているような気もする。
僕があと30年後に死ぬとしよう。死因はなんでもいいが例えば飼っている猫に襲われて死ぬとしよう。
30年というと長い気もするが今から30年前を思い起こすとつい最近な気がする。
過去の30年があっという間に過ぎたようにこれからの30年はこれまで以上に早く過ぎて行くのだろう。
ウチの猫たちがいつか死んでしまった時に僕の方が立ち直れるだろうか・・・。
いつかは必ず来る『その時』に後悔しないよう、毎日猫たちと精一杯遊んでおこう。